2月9日(月)
網走→女満別→東京
流氷はいずこ?
| 最終日の朝がやってきた。 午前中はノンビリしていた。朝早くから張り切って出て行っても、行き場所がないからだ。お昼前にチハルさんの家を出発した。貧乏旅人にとってチハルさんのような方は、神様だ。本当に感謝感激だ。 こうして、出発して、向かった先は・・・・ 2002年の北海道失恋記に登場する彼女の家だ。記憶をたどりながら、歩いた。約三年前に行ったっきり行っていない。それでも記憶というのは残っているものだ。ちかくのファーストフードで、彼女への手紙をしたためた。それとは別に自分へのお土産にスーパーで、サッポロクラシックを1ケース自宅へと送った。 書いた手紙を彼女の家に投函。本当は会いたかったのだが、彼女は就職活動で実家に戻っていた。こうして、思い出に浸りながら、おーろら号乗り場まで再び歩いた。
船乗り場は多くの観光客でにぎわっていた。観光船乗り場入り口には 「流氷がないので能取岬の観光船となります」 といった張り紙がされていた。 せっかく来たのだし、次いつこれるか分からないから、乗っておこう・・・ということで、オーロラに乗ることにした。受付のところでも、もう一度 「流氷はないですけどいいですか?」 と念をおされ、同意したら、記念のテレフォンカードをくれた。ちょっともうけもんだ。
船は出港した。本当に流氷はなかった。しばらく船はすすみ、沖に出ると、流氷の一団が浮いていた。
流氷、、というよりも氷が浮いている、、といったかんじだ。
そして大きな氷の群れと遭遇し、船はわざとその中に入り、体当たりして氷をくだいていった。
紋別のガリンコ号は砕氷船と名のついている通りに、氷を砕く機械が船前方にくっついている。(2003年北海道冬紀行参照)しかし、網走のオーロラには砕く機械がついていない。この違いが、網走の場合は「流氷観光船」といわれる由縁だ。パンフレットなどでは観光砕氷船とも言うが、オーロラが流氷にはさまれて、自力での航行ができなくなり、「流氷にはさまれ身動きのできない砕氷船」となったのは、あまりにも有名な話しだ。
夕日は網走の街に沈もうとしていた。今回の旅、最後の夕日だ。何か今までの旅が走馬灯のように頭をかけめぐり、感慨深いものがあった。
こうしてオーロラ号は港に戻ってきた。
偶然にも、SOSAが乗った船は、夕日クルージングとして人気のあるものだったようだ。それに運良く乗れて良かった。 船乗り場から網走の商店街を通って網走駅にたどり着いたころには、とっぷりと日が暮れていた。女満別発の最終便の飛行機に乗る予定だったので、まだ時間には若干のゆとりがあった。 ここから女満別までヒッチハイク!とも思ったが、夜ということもあり、しかも天候が崩れてきたので、おとなしくバスに乗ることにした。
網走駅前のファミレスに入り、最後の晩餐を楽しむ。そして空港へ向かわなければならない時間になった。 初の交通費捻出。バスの代金支払うときには、さすがに少し躊躇したが乗り逃げするわけにもいかない。 最後の最後でお土産を買い込み、搭乗手続きを済ませて、飛行機は女満別空港を飛び立った。
飛行機は満席で、かつ乱気流に巻き込まれ、2〜3度は急降下したが無事に羽田に着いた。こうして東京に戻ってきた。
こうして旅はすべて終わる。
☆旅の記録☆ トータル:交通費750円 ヒッチハイク台数22台 |
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