第5章 さらば網走

 

あのメール以降ほとんど彼女とはメールを交わさなくなった。失恋ショックがそろそろさめようかという頃、夏の北海道行きを決めた。彼女が完全に付き合いだした、、、という事は聞いていなかったのでわずかながらの希望をもっていたのは確かだ。今回の北海道旅行計画には網走に行く予定はなかった。本州を自走して北上し北海道の宗谷岬を目指すという計画は、おそらく稚内から飛行機で帰るであろうと思っていた。(一応予備で網走知床方面の計画立てていたが・・・・)。というわけで、彼女にも北海道行く事すら伝えていなかった。

※旅の詳細については旅行記本編を参照

旅に出ていざ本州から北海道へ渡る船の途中で、初めて彼女に北海道にやってきたということを知らせた。ただ、「会いたい」という言葉は聞こえてはこなかった。旅は順調に進み念願の宗谷岬に計画よりも随分早く到達してしまった。その後、彼女に会えたら会いたいと思い網走を目指した。途中、会えるかどうか尋ねると、「今実家に戻っていて会えない」というメールが返ってきた。とにかく彼女に会いたくなって網走を通過して知床を周遊して再び網走に向かおうと計画していた。

9月3日羅臼から摩周へ向かう途中、とうとう知りたくはない事実を知ってしまった。網走に行った場合泊めてもらえるか?というメールを送ったときに、その事実はやってきた。

ワタシには現在付き合っている人がいる。だから泊められない」、、、と。

このメールは中標津から標茶に抜ける道道13号線、計根別付近で受信して、走りながら衝撃を受けた。知ってしまった・・・知りたくはなかった事実を。ショックだった。手が震えた。体が震えた。この日屈斜路湖畔でキャンプすることを考えていたが、このような精神状態で、夜、一人きりになったら何をするかわからないし、ましてや湖畔なんて危険だ!と防衛本能が働き、摩周のYHに泊まることにした。とにかく誰かと何かしらをしゃべっていないと、気が落ち着かなかったのだ。

幸いにも摩周YHに泊まって、同じく最近失恋した方に出会って、思いのたけを夜まで語り合い、翌日も2人で晴れた摩周湖で傷心を癒し、川湯温泉に入りにいってそこでも癒すことができた。おまけにその翌日には厩舎で馬の世話の手伝いをさせてもらいながら汗を流し、気を紛らわすには十分すぎる環境がそこにはあった。気もそこで落ち着いて、無事に旅を終えて東京に戻ることが出来た。

東京に戻って彼女とは一切メールを交わさなくなった。10月、誕生日を迎える前に彼女からメールがきた。泊めさせてあげることができなくてごめんなさい・・・と。しばらく返信しなかったが、誕生日のお祝いメールとともに、HPの件などいろいろ黙ってきたことを打ち明けた。

それ以降、今に至までメールは交わしていない。大切な友達を失ってしまった気分だ。彼女との事、今にしてみれば後悔することが多々ある。それも苦い思い出・良い思い出の1つとして心の中にしまうことにした。

将来、友人として彼女と再会しこれらの事が笑い話として語れる日が来ることを望む。

2003年。少し時間がたった。メールを少しずつではあるが今でも交わしている。誕生日には忘れずにメールをくれる。きちんと覚えていてくれているのだ。そして自分も彼女の誕生日には、忘れずにメールを送る。いまや彼女とは、良い関係といってもいいのかしれない。メルトモ以上親友以下・・・。

今でも彼女と再会できる日を楽しみにしている。

2001年に彼女の家に忘れてきたTシャツはいまだ彼女の手元に・・・

 

 

♪Music♪ 旅立ち 松山千春 

 

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